ワインの香りを化合物から整理する⑤ ~TDN(ペトロール香)~

ブドウに含まれる物質から生じる香りとして、③リナロール、ゲラニオール④チオール系化合物など香りの前駆体物質を紹介しました。今回はリースリングのペトロール香として大変有名なTDNについて紹介します。

TDN(トリメチルジヒドロナフタレン)の香りはぺトロール、つまりガソリン、灯油香などと表現されています。”ナフタレン”と言う単語を聞いたことがありますか?ナフタレンは防虫剤成分として有名ですね。ナフタレンにいくつかの官能基が置き換わった化合物がTDNであり、リースリングの特徴香として有名です。

TDNがどうやって生成されるかについて紹介します。TDNは、カロテノイド(黄、橙、赤色などを示す天然色素)が分解されて生じるノルイソプレノイド系香気成分と呼ばれる化合物のひとつです。カロテノイドは光合成によって増加していきますが、直射日光、高温状態なほど身を守るため生成を活発化させていきます。そして果実の成熟と共に減少、ノルイソプレノイドに分解されていくと考えられています。つまりTDNは高温の気候条件、完熟ブドウで生成量が高い可能性が考えられます。ワインの香りでノルイソプレノイド系香気成分が特徴的な香りを発することがわかっています(参考:ワインの香りを化合物から整理する⑥ ~β-ダマセノン、β-イオノン~)。

では、今回はTDNにフォーカスして進めていきます。2012年にアメリカ ニューヨークにあるコーネル大学食品科学科からの研究論文が大変有名ですので紹介したいと思います1)。

そもそもペトロール香は熟成したリースリングの特徴香として考えられていました。しかしニューヨーク産の1~3年のリースリングとカベルネ・フラン、カベルネ・ソーヴィニヨン、、メルロ、ピノ・ノワール、シャルドネ、ゲヴェルツ・トラミネール、ソーヴィニヨン・ブランなど計9品種(すべてニューヨーク産)の比較を行ったところ、TDNの濃度は、6.4±3.8μg/ Lで、他の品種の平均1.3±0.8μg/ Lより有意に高い結果となりました。また、28のリースリングのサンプルのうち27が嗅覚閾値以上のTDNを有していたそうですので、ほぼすべての銘柄からぺトロール香を生じていたということになります。さて、花のような華やかな香りを生み出す物質であるテルペン系化合物のリナロールおよびゲラニオールを過去のブログ"ワインの香りを化合物から整理する③ ~リナロール、ゲラニオール(マスカット香)~"で紹介していますが、リースリングにおいても特徴香として存在します。同研究ではこれらの物質とTDNの香りの強さについて人による官能評価を行っています。するとこちらも同様にほとんどのサンプルでTDNが上回る結果となり、人に強く知覚させることがわかりました。下図で示したようなアロマの序列とは逆転した結果となったようです。

ところで、地球温暖化は、TDNの生成を促すことが報告されています。更に果実の成熟を促すためヴェレゾン前に除葉することも果汁中のTDNの上昇を促すことが報告されており、栽培管理が重要になっています。一方、輸送期間中の高温によってもTDNの増加が報告されており、高温劣化の指標にできるという指摘もなされています。つまりTDNを抑制することは一筋縄ではいかないようです。微量ならば熟成したリースリングの『フィルネ』firne(ドイツ語)と呼ばれる繊細な香りとして表現されるペトロール香も、現在ではワインを損なう香りとして考えられているのですね。

ブラインドテイスティングではリースリングの品種特定の決め手と頼りにしていたこの香りも、いつか消えていく日が来るのかもしれません。

1)Sensory threshold of 1,1,6-trimethyl-1,2-dihydronaphthalene (TDN) and concentrations in young Riesling and non-Riesling wines

Sacks G.L., Gates M.J., Ferry F.X., Lavin E.H., Kurtz A.J., Acree T.E.

Journal of Agricultural and Food Chemistry 2012  60 :12 (2998-3004)


リースリングのぺトロール香はSecondary aromasとなっていますが、今回の研究ではPrimary aromasを超えていた結果となりました。(https://www.reddit.com/r/wine/comments/8k6vvu/a_complete_guide_to_riesling_wines_thoughts/)

2017年9月にアルザスのドメーヌ・ツィント・フンブレヒト Domaine Zind Humbrechtを訪問しました。試飲させて頂いたワインたち。Winereportによるとツィント・フンブレヒト氏もTDNを欠陥臭の原因と言っているそう。(https://www.winereport.jp/archive/1620/)

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