ワインの香りを化合物から整理する⑫ エステル香(酢酸イソアミル、カプロン酸エチル)

過去のブログで紹介した酢酸エチルは不快臭の一つでしたが、多くのエステルは好ましい香りとして評価されています。今回はワインの特徴香としてのエステル香を紹介します。

ワインでのエステル香とは、酵母によるアルコール発酵中に副生産物として作られる高級アルコール類やエステル類を指しています。酢酸イソアミル(バナナ様)1)やカプロン酸エチル(リンゴ様)2)などのエステル類は低濃度でもフルーティで華やかな香りを持つことが知られており、これらの香気成分は清酒やビールにも含まれています。醸造酒に共通に存在する成分ですが、清酒では「吟醸香」と高く評価されるのに対し,ビールでは一般に「エステル臭」と呼ばれて長らくこの香りが目立つのは好ましくないと考えられていました。しかし最近はホップから生成されるこの成分をビールの特徴として評価する傾向にあります。ワインにおいてもブドウに由来する特徴香をエステルが邪魔すると考えられていましたが,実際にはブドウに由来する香りがあまり強くないワインでは,エステル香をうまく利用する場合があります。例えば新酒においても華やかな香りとして評価されています。

ではワイン醸造のどの段階で生成されるのでしょうか?ワインの発酵工程は大きく2段階に分けられています。第1段階は通常のアルコール発酵工程であり、ワイン酵母がブドウ果汁中のブドウ糖と果糖をエタノールと二酸化炭素に変えて、果汁をワインにする工程です。この段階では、ワインに含まれる酸は主として酒石酸とリンゴ酸です。第2段階では、もともとワイン中に存在、または外部から添加した乳酸菌により、そのワインの中のリンゴ酸を乳酸に変える工程であり、マロラクティック発酵(MLF)と呼ばれています。

アルコール発酵で生成する香りは、第1段階で生成し、ほとんどはワイン酵母の代謝過程で、ワイン酵母の持つ酵素によって生成すると考えられます。日本ソムリエ協会ののテイスティング用語での定義では、第二アロマ(発酵に起因する香り)と呼んでいます(WSETでは発酵に起因する香りはPrimary Aromasに定義)。もちろんアルコール発酵中に生成する大半はエタノールですが、ワインの香りへの関与は大きくありません(アルコール濃度が高い場合は揮発するアルコール香がします)。

高級アルコールは、酵母のアミノ酸代謝に関連して生成するため、一般的に、赤ワインの方が白ワインよりも含有量が多いことが知られています。高級アルコールではマジックインキやマーカーのような香りを持つ1-プロパノール、イソブタノール、イソアミルアルコールが主成分となります。さらに、バラ様の香りのβ-フェネチルアルコール、ハーブを連想させる1-ヘキサノールなどもワインの香りにとって重要な成分です。

冒頭に紹介したエステル香の生成は、ワインの場合、発酵過程で酢酸エステルと呼ばれる酢酸とエタノールとのエステル、または高級アルコールとのエステル、エチルエステルと総称されるエタノールと有機酸のエステルが主として生成します。バナナ様の香りを有し日本酒にも香る酢酸イソアミル1)、フルーテイーでバナナの香気成分である酢酸イソブチル、チェリー様のイソ吉草酸エチル、バラ様の香りを有する酢酸β-フェネチル、イチゴ的な香りのイソ酪酸エチル、過去のブログで紹介した酢酸エチルは通常、最も多量に生成するエステルですが、シンナー的な香りを発するため主要なエステルですがいわゆる好ましい香りとしては評価されていません。さらに、リンゴ、洋ナシなどの香りを持ち、日本酒でも評価されるカプロン酸エチル2)、カプリル酸エチルなどの脂肪酸エステルも、微量成分ながらワインの香気形成に貢献しています。

エステル香の多くは熟成によって揮発、分解して感じにくくなります。アルコール発酵からの時間経過の短さを表す指標として捉えることをお勧めします。つまりこの香りからワインの若さが感じられるのです。

1)酢酸イソアミル(isoamyl acetate:C7H14O2):日本酒の芳香成分の一つで、吟醸酒には数100 ppb–数 ppm 程度含まれている。日本酒の高品質化のため、大量の酢酸イソアミルを生産する清酒酵母の開発が進んでいる。

2)カプロン酸エチル(ethyl caproate: C8H16O2):日本酒の主な芳香成分の一つで、日本酒の高品質化のため本物質を多く生産する清酒の酵母が育成・開発されてきた。吟醸酒には数100 ppb–数 ppm 程度含まれている。

Reference:

新ワイン学 :戸塚 昭(編集幹事) (監修), 東條 一元(編集幹事) (監修) 出版社: ガイアブックス

ワインの香りの評価用語: 後藤 奈美/におい・かおり環境学会誌/44 巻 (2013) 6 号 2013 年 44 巻 6 号 p. 390-396

清酒のにおい・かおりとその由来(その1)/きた産業

【参考】

エステル香の科学的な検証は出来立てが評価されるビールで盛んです。最近のデータがありましたので紹介します。

ヱビスビールのコクの秘密は「余韻」にあり!~ヱビス酵母が醸す香りの秘密を感性科学で解明~

https://www.sapporobeer.jp/news_release/0000011252/

「ビールを飲んだ後の後香にエステル香が関与する」

ビールの「余韻」をより人間の「実感」に近い形で評価するため、ビールを飲んだ時のヒトが感じる「後香」を可視化する官能評価の新手法であるTCATA法※を用い、「ヱビスビール」の「後香」の経時変化を追跡しました。その結果、「エステル香」が長く残り、ヒトの感じる「実感」が機器分析の結果と合っていることも、明らかとなりました(図1)。

「エステル香」に寄与する成分は「後香」として口中により長くとどまり、それは官能的にも「実感」できること、「余韻」をつくりだしていることが明らかとなりました。

※TCATA(Temporal Check-All-That-Apply)法

TCATA(Temporal Check-All-That-Apply)法は、サンプルを口に含んでから、回答画面に表示された複数の香りの特徴について、都度感じたすべての特徴を選択し、感じなくなった特徴は都度選択を解除することで、ヒトが感じる香りの特徴の持続性について経時的なデータを取得し、グラフ化できる官能評価手法です。本研究ではビールの香りの「余韻」の評価に本手法を用いました。

ワイン・ブログ 情熱とサイエンスのあいだ

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